人の失敗を笑うということ

いっぱい寝たのにまだ眠い気がする日系三世のNicky黒井です、おはようっス。

今日は前振りも何もなしで行くわよ。

昨日書いた「失敗を恐れる」についてなんだけど、ちょっと辛くて書きたくなかったことを、追加で正直に書き足してみる。

えっとさ、この間、なんかバラエティ番組で「外国人の話す日本語の拙さを指摘して笑い物にする」ってのがあって、ネット上でプチ炎上してたじゃん?
私、人の300倍くらいよく喋るから、たぶん周囲からは「話す」ことにトラウマなんてないと思われてるんだけど、あのプチ炎上を見てて、ちょっと心が痛かった。
幸いにして、私が留学してた時とかは、周囲が良い人ばっかりで、ネイティブじゃない私の英語を笑う人とかは居なかったけど、幼少期にね、言い間違いとかすると、家族に笑い者にされた記憶は今でも辛い記憶としてなかなかに生々しく蘇るのですよ。
しかもさ、私の家族、それのどこが面白いのか私には全然理解できないんだけど、何年経ってもしつこくそれをネタにするよね。

例えばなんだけど、私、小さいころに図鑑を見るのが好きで、それも、「宇宙」とか「天体」のやつが大好きだったのね。
で、夕方に西の空に明るく輝く金星を「宵の明星」って言う・・とか、知識を仕入れると、使ってみたいのが幼児。ある時、夕方にとっても明るくて大きな星が西の空に見えたので「宵の明星だ!」と言おうとして「宵のミョウ」って言っちゃったのね。
もうね、鬼の首でも取ったのか、第三次世界大戦に勝利したのか、金脈か油田でも掘り当てたかってくらい、大笑いされたよね。母と姉に。
そして、夕食の席で、末っ子(私)が、どんなバカな言い間違いを、それも得々とドヤ顔でしていたか、母と姉は父に面白おかしく話すのでした。
まぁ、判断力のない子供だったので、姉は仕方ないにしても、両親のアレはなぁ。。。

しかも、それから後、何十年もしつこくネタにするのね。
それも「末っ子の可愛い言い間違え」じゃなくて「バカが知ったかぶりでドヤ顔で言い間違い」的なやつね。
例えばさ、海外出張で英語のプレゼンだ!とかなるじゃん?そーすっと「まぁ・・・宵のミョウとか言ってるような子が、そんな事できるのかしらねぇ。出世だわねぇ。(そんな馬鹿を海外に出すような)会社は大丈夫なのかしら」とか。
プレゼンと営業部隊の暗躍で新しい取引先獲得!ヒャッハー!とかなってると「日本語もロクにできないのにねぇ。もう、宵の明星ってちゃんと言えるようになったの?」とかね。
「しつこいんですけど」と言っても、「別に、何回言っても、貴方が虚栄心が強くて、知りもしないことを披露しようとした事は消えないでしょう?」みたいに、全然ひびかない。
父は父で、学歴コンプレックスが強いので、娘が外国語を話すこととか、大企業で働いていることとか、恐らく父より年俸が高いことが、対外的には自慢で仕方ないのに、対ワタシになると「いい気になるな!」という憤懣やるかたない気持でいっぱいになるので、全然関係ない時に「いい気になるなよ。日本語ですら言い間違いするのに、英語できますなんていい気になっていたら、どっかで足元をすくわれるからな」とか言う。
正直、何ができてもできなくても、こんなに貶される環境で育つと「私というレベルでは、社会に出てやって行かれない」って思いこんじゃって、ある時「え、って言うかさ、両親からはオマエは社会に出るには不合格、足りてない、社会に出たらヒドイ目に遭う!って散々言われてきたけど、社会に出てみたら、ワタシ程度のバカはいっぱい居て、堂々と生きてるよね」って気が付いた時の衝撃と言ったら。
ウォーター!
みたいな?
まぁ、だからと言って「私は、ありとあらゆる面で社会でやっていくには足りてない」という刷り込みが全部解けた訳じゃないんだけどね。

いやもう、幼児期(たぶん4歳くらい?)の言い間違い一つでこの騒ぎですよ!

なんでそこまで私を貶したかったのかは、今となっては永遠の謎なんですが、こう、揚げ足取りみたいな事ばっかりされてると、無駄に感受性が強い私なんかは、委縮しちゃって、「動かなければ、何もしなければ、間違うこともない」的に、消極的な性格を獲得して行ったのでした。

だってさ、割が合わないじゃん?
ちょっとでも間違うと、めっちゃ食いついて、永遠に嘲笑されるのよ?
そして、それをしていい根拠っていうのが「言い間違ったのは事実」なんだから、参っちゃうよね。事実かどうかって言われたら、事実だからさ。
もうね、「だって事実でしょ?文句があるならいつでもベルサイユにいらっしゃい!」って勢いなのよ。革命でも起きない限り、蹂躙される側は永遠に理不尽に蹂躙されるがまま、状況に甘んじて生き延びるしかないのでした。

まぁ、何が怖いってさ、リベラルな母なんかは、「外国人の日本語を嘲笑する」なんてことは、目を吊り上げて憤慨するのに、それを自分がやる時は、たとえ意見されても「だから何なの?間違ってるのは事実でしょ?」的に、相手(私)を傷つけることに躊躇しないことね。

これは一例で、私が生きてきた「日常」には、地雷がいっぱい埋まっていて、それが「言い間違い」だったり「親の意に沿わない事をした結果での失敗」だったりなんだけど、踏んじゃったら取り返しがつかないというか、自分に返ってくる理不尽の大きさが「目には目を」じゃなくて「目には目と鼻と耳と頭蓋骨と内臓全部!」みたいな感じというか、ほんと、緊張を強いられる人生の前半戦だったよなーと。

くどいよーだけど、子供なんて日常で言い間違えもするし、小さな失敗だってするし、何なら、子供じゃなくたって、毎日が失敗の連続じゃん?
大ごとな「失敗」じゃなくていいのよ。
なんか「ああ、やっちまったぜ」的なことなんて、いっぱいあるじゃん?
それが許されないと書くとカッコいいけど、「失敗」を責められるならまだしも、苛めっ子の恰好の餌のように作用して、私を傷つけて良い免罪符にされてしまう。
免罪符がいっぱい過ぎるっつーの!
毎日が免罪符!
博多なら明太子!
誰か、ルターを呼べ!
テッツェルを弾劾セヨ!(免罪符企画の修道士のおっさん)

そういえば、一度、appropreateのスペルが出て来なくて辞書引いてたら、母から「その程度(どの程度だよ)の単語も書けなくて、よく通訳翻訳ができるわよね。すごい心臓」って言われたことがあったな。
その言葉は、まったくもってinappropreateなんだけどね。

あ。ちなみに、彼女が「宵のミョウ」について言わなくなったのは、私が「そうやって私の言い間違いでしつこく私を裁くことで、貴方は最後の審判の時に、神の怒りと裁きを呼ぶよね」って言ったことと、中国語の先生から「人の言い間違いを笑うなんて、語学を勉強する人にあってはならない姿勢」って注意されたから。多謝老師。
(先生に会った時にサラッとチクったのは私です。)
外圧って大事ね!結局、「神」と「老師」の介入がなかったら、今でもしつこくネタにされているに200万ペリカ

追記のつもりだったので、この辺で。
チャオ―!(☝ ՞ਊ ՞)☝