軸を鍛える!

 はい、いきなりトレーニングブログのタイトルみたいになってますが、さにあらず!な日系三世のNicky黒井です、おはようございます。
 平成最後の投稿になるかなー。
 令和になる前に一つ書けて良かった!
 いや、まだ書き終わってないけど。

 さて。
軸。
大事よね、軸。

私も、ほんと、体幹が弱くて、必死にプランクとかやってるんだけど、でも、知ってた?体幹だけ鍛えると、今度は他の部位に故障が出たりするので、全身をバランスよく鍛えないとダメみたい。
実際、お腹がバリバリに割れてる女性アスリートが、体幹に比べて足が弱かったりで、怪我ばっかりしてる話とか聞くしね。

あと、椎茸の軸ね。これ、捨ててない?イイ出汁が出るらしいから、捨てないで出汁取ってみて!
あと、最近気になるのが「出汁」のことを「だし汁」とか書くやつ。「出汁」ってかいて「だし」だからね。もう「出汁」って、その後に「汁」とか付けなくても、旨味成分を漉し取った「汁」だから。
あと「どんぶり」をね「丼ぶり」って書くのも「なんじゃそりゃ」って思うよね。「丼」一字で「どんぶり」って読むわけで、「どんぶりぶり」って何よ?とかさ。まぁ、「マグロ丼(どん)」って読んだりした挙句「丼」は「どん」だから「その先に『ぶり』って書いとく!」って事なのかなとも思うけどさ。そして、言語は変化していくモノだって分かってるけどさ。でもなんかキモチワルイー。
余談だけど。

で、今回の軸ね。
所謂「自分の軸」の話ッス。前置きが長い!
私ねぇ、小さいころから特に父親から「お前は本当にワガママ」って言われて育ったのよ。今にして思うと、単に、自我が芽生えただけなんだけどね。親からしたら、それまで特に自分の意見がなかった乳児から、自分なりに好き嫌いとかが出てくる幼児になったら「今までと違う!」みたいになったのかなって思うけど。要するに、親からすると、自分たちと違う嗜好だったり意見だったりすると、ある意味面倒じゃん?それを「親と同じなら面倒が少ないのに、自分の意志を持っているから面倒が増える」って事で「ワガママ」とくくったんだよね。例えばさ、今日の晩ご飯は八宝菜!だったとして、「えー、オムライスがいいなあ」なんてのは、たぶん、子供あるあるだと思うんだけど、もうね、それが許せないの、私の両親は。そこで「八宝菜!わーいわーい!」って言わないと許せないの。つまり、「その環境の中で与えられたものを、まるで自分が本当に欲しかったものだと思わせるように喜べ」ってことね。
仮に「えー、八宝菜・・・。まぁ、八宝菜でも、いっか」ってなるじゃん?そんなのは許されないのね、実家では。「八宝菜『が』いい」って直されるの。でも、本当は八宝菜って別に食べたくなくて、でも、まぁ、出てくるなら食べるし特に意見はない!って状況あるじゃん?ダメなの、それじゃ。目をキラキラさせて「八宝菜!」って、北朝鮮の「将軍様の演説に狂喜する市民」くらい喜ばないと許されないわけ。「えー。」なんてもってのほか。銃殺だYO!
でもさぁ、普通に考えたら、「自分はこれがいいなぁ」ってのがない子の方がよっぽど心配じゃん?特に興味がない分野について「どっちでもいい」ってのはアリだと思うけど。
あ、ちなみに我が家では「どっちでもいい」ってのも許されなかったのね。後にも書くけど「自分の頭で考えて育っていけ」みたいなモットーがある家だったんで。「自分の頭で考える」と「違う意見が出るリスク」っていうのは、言い方が違うだけで同じことなんだけど、そんな理屈を言おうものなら父から殴られるワケですよ。理屈を言うな!って。
何だっけ、そう、「与えられたものを、それが本心から凄く欲しかったもののように振る舞う」「空気を読んで、自発的に合わせていく」話。
それがない私は「ワガママ」で「感謝が足りない」子供ってことで、「自分勝手」「ワガママ」という烙印のもとに育ちました。「この子の将来が心配」「我が強くて空恐ろしい」って。
うん、ずっと私、自分で「ああ、私はワガママで自分勝手な性格なんだな。だから、大人になったら、とっても困るだろうな」って思って、必死に治そうとしたのよ。
だから「今日は晩ご飯何がいい?」って聞かれても、「自分は何を食べたいかな」って考えるんじゃなくて、例えば「豚肉があるから、その範囲内で」みたいに考える幼児に育っていったのでした。普通さ、「晩ご飯何食べたい?」って子供に聞くなら、家の冷蔵庫にある食材じゃないものが返ってくるリスクだって織り込むじゃん?それをすると「ワガママ」って人格否定されるから、ヒントに沿うように例えば「生姜焼き」とか「ピカタ」とか答えてました。個人的には、ワガママよりも小賢しいガキのがよっぽどイヤらしいと思うんだけどね。でも、当時、私は「ワガママ」というのがとってもとっても重い罪に思えて、例えるなら「このワガママをちょっとでも治さないと、生きていかれない」っていう死刑判決くらいの重さで抱えてました。だってさ「そんなワガママだと、大人になってから困る」「誰からも嫌われて相手にしてもらえない」「そんなワガママな奴は世の中に出る資格がない」とかさ、幼児期から言われ続けるのよ?それが本当かどうかなんて検証する間もなく、「そっか、私はワガママで、ワガママな人は生きていかれないんだ」って思いこむじゃん。

ちなみに。
海外にかぶれている両親は「自分の意志を持って育て」とも言ってました!
よく考えたら矛盾しない?
自分の意志を持つということは、即ち、親とは別の意見や嗜好や生き方になる可能性を常にはらんでいること。なので、仮に、「自分の子供が、自分たちと全く違う考えを持つかも」という事を受け入れられないのであれば、「自分の意志を持て」なんて言うべきじゃないよね。
いや、お題目として掲げておけば、自分たちは子供に理解があってリベラルな親!っていう満足感はあると思うよ?
ただ、人として少しでも恥を知る心と、一ミリの教養があれば(教育ではなくて教養の問題)、それが意味することは分かるはず。

私ね、ずっと、自分の事を、ある程度は我が強いというか、自分を持っているって思ってたんだけど、何と言うか、自分に影響がない範囲だと自分の「軸」が持てるんだけど、自分に決定的な影響力がある状況下では、相手や状況に合わせてる事に気が付いたのよね。

それなりに気持が入る相手や状況なんかだと、自分を殺してしまう。
結果どうなるかというと、自分にも相手にもよくない状況を招いてしまうことに!
それもね、多くの場合は、完全に私の思い込みなのよ。
健全な精神の人は、自分と相手は違う人で、まぁ、ある程度の「常識」と呼ばれるモノは共有していても、完全に自分の気に入るような事ばかりではない・・・って理解してると思うんだけどね、私は「相手の思惑から外れる」ことに異常な恐怖を覚えるほう。
自分が親からかけられた呪いであるところの「常識」それも、狭い範囲の思い込みでしかない「常識」を後生大事に抱えて、自分を縛っているという。。。
そもそも、人間は多様な生き物であるからして、私が勝手に汲み取った「相手の思惑」なんて、見当違いな訳ですよ。だから、とどのつまり、それは「私が勝手に妄想した、相手が私にこう期待しているんじゃないかという何か」の域を出ない。出てたまるか。
そして、自分でその狭さには当然気が付かない。
例えばね、私の夫は、愛着が安定している人で「妻は、したい事をすればいい」という主義。(まぁ、それでも、他所で浮気するとか、自爆テロを起こすとか、そういうのには多分反対すると思うけど。)私が夜に出かけてこようが、そのために晩メシを自分で調達することになろうが「おっけー」な人。この年でツーブロックカットにしようが、格闘技を習い始めようが、「したいんだったらやればー?」な人。そして、生き辛さを抱えているからセラピーを受けたり、講座を受けたりするのも「必要だと思ったらすればいいよ?」な人。それによって、もしかして関係性が変わる危険性がある訳だけど「その時に考えればよくない?」な人。
・・・って、さも聖人のように書いてるけど、たぶん、世間のというか、夫のあり方としては「普通」なんだと思う。
翻って、私は「自分は妻なので、夜は家に居ないとダメだし、夜以外にも、夫が家にいる時に私が家を空けるのはよくない」という平成の御代も終わろうと言うのに前時代的な思い込みがあってですね、だいたい日曜の夜に開催される格闘技の試合なんかも、「行きたい」「生で見たい」と思いつつ、ずっとずっと我慢してたのでした。
「行きたい」「行けば」という会話はあったけれど、自分で「いや、でも、行くものじゃないよね」という思い込みで「やめとく」ってのが続いたのね。
妻だから。家に居ないとならないから。
いや、誰もそんな事望んでないのよ?思い込みなのよ?
でさ、ある時、私が通っている格闘技ジムの選手が、ベルトに挑戦する試合があって、ぜひぜひ見に行きたい、応援したい!だったんだけど、やっぱり日曜の夜な訳よ。おそらく試合が終わって2時間くらい経って「勝ちました!応援ありがとうございました!」って選手のツイッターが更新されたのを、溜息をつきながら見ていた次第。
夫は、私が「行きたい」と言えば「行けば」だけど、別に世直しが自分の仕事と思ってる訳じゃないから、私が悶々と嫌な目つきをしながらため息をついていても、「格闘技の試合、見に行きたかったんだね。行っておいで」と、私の行動まで決めることはしない人。
いや、思いましたよ。私がこんなに我慢して「試合見に行きたい」オーラ出してるんだから、気づけよ!って。空気読めよ!って。だって、私、自分から「ワガママ」を言うのは禁止されて来たから、相手から「xxする?」「xxしていいよ?」ってオファーがないとダメなんだ。自分から「これがしたいです」って言えない!言えないんだから、私が相手の気持ちを汲み取って言えずにいるんだから、そっちも汲み取ってくれよ!!バカのつるべ落とし。
で、ベルトを取ったら、当然、防衛戦があるよね。
だから、ある日、夫に「ジムのxx選手が今度防衛戦で、応援に行きたい」って、そりゃもう、清水の舞台どころか、宇宙服なしの宇宙遊泳くらいの気持ちで言ったよね。自分の中で罪悪感があるから、何ならその選手がどんなに練習を頑張っていて、今度の防衛戦は絶対に勝ちたい試合で・・・みたいな「言い訳」まで用意してたわよ!
夫はサラッと「行けばー?」。
即答。秒殺。
何故か猛烈に腹が立つ私。
私が!こんなに!我慢してきて!今!必死の思いで「行きたい」と言っているのに!そんな薄いリアクションなのか????
ワケ分かんないでしょ?
そこは「うん、行ってくるね!ありがとー!」って言う場面だ!(何なら「ありがとー」なんて言わなくて、「行きたい」じゃなくて「行ってくる」って断定する場面だったかも知れない)
そして、試合当日。行けば行ったでソワソワする私。応援する選手の試合までは観たけれど、メインイベントの試合も見ずに帰る。
何で帰ったのか???
それは罪悪感。
夫からいくら「行ってくれば?」と言われても、私の中に「妻は家にいるべき」っていう思い込みがあれば、当然、「行くべきじゃないのに外出している」という罪悪感でソワソワするよね。そして「夫が家にいるのに外出するのはなー」なんて言われる夫もいい迷惑。私は知っている。夜に私が出かける時、以前は「ちゃんと」晩メシを用意していたけれど、最近は「あ、自分でどうにかするからいいよ」と言っていて、それじゃあってんで外食なり買ってくるなりしてもらうようにしたのを、実は夫はむしろ密かに喜んでいることを!たまに食べる外食(つっても、ラーメンチャーハンとかそんなの)や、自分で好きに買うコンビニ飯がワクワクすることも!ナポリタンとカツカレーみたいな、炭水化物x炭水化物って、美味しいよね!うん、知ってる!私はレジ前のから揚げ推し!
なーのーにー。
私の頭の中では理解していても、身体付近がザワザワするのね。「お前は自分の本分を果たしていない」「するべきことを放棄して格闘技なんか見に来てる場合?」「日曜の夜は家にいるべきじゃなくて?」等々、私の中で罪悪感が集まってミーティングしてる!
もうね、これは夫の許可とかじゃなくて、私の中の問題なんだよね。
・・・って、何回か試合を見に行って、とりあえずは「日曜の夜に外出」「その時は晩メシは自分でどうにかしてもらう」はクリアしたつもり。

でもね、1個だけ何かクリアしても、問題はもっと根深いのでした。

ここんとこ、ずっと頑張ってきた格闘技の練習(ちなみに、2年半やってても、あまり上達していない模様)がね、なんかつまんないのです。
ツマンナイって言うと「練習は楽しいばかりじゃない!」って言われそうなんだけど、そうじゃなくて、積極的に重い気持ちになるっていうか。
金払って時間かけて重い気分になるって、どんな罰ゲームよ?
その時は苦しくても「上達したい!」とか、何かそういうモチベーションがあるから続く訳じゃん?なんかモチベーションがダダさがっている。
ちょうど、足が故障気味だし、休んで色々考えてみた。

ああ!
やっぱり意味のない思い込みだったわ!
(゚∀゚)

あのね、私と同年配の女性で、とってもやる気がある人が同じジムにいるのね。
彼女は、アマチュアの試合を目指して頑張っている人。私は「上手くなりたい、技を綺麗にキメられるようになりたいけど、痛いのはイヤだし試合はもっと上手くなってから考える」ほう。
で、なんか私の中に「試合に出るくらい強くなる気配を見せて行かないと、ジムに居られない」という思い込みがあったわ!
たぶん、ジムとしては、やる気がある会員よりも、会費だけ払ってる休眠会員のがありがたいはずなんだけど(経営的にね)、トレーナーさんから見たら、やっぱり、やる気を見せる人のほうが良くない?
私、超やる気を見せて行かないと居場所がない・・・?
・・・という思い込みがあってですね、何となく、自分のペースじゃなくて、その「頑張っている彼女」のペースに合わせて練習をしたりしてたのでした。最初は、まだ「そのうち試合に」って感じだったから、私もちょっと背伸びすれば良い程度だったんだけど、最近はガチで「そろそろ減量」とか「走り込み」とか言ってるし、何なら朝と夜の二部練習やったりしてるから、どう考えても私のペースと合わない!
でも、無意識に「あれくらいやらないと自分には居場所がない」って思いこんでるから、彼女の練習(対人とか)にも付き合うし、あんまり気が乗らない「試合に出たい人が多いグループレッスン」も出る。
・・・そりゃあ気も重くなるよね!
よくよく考えたら、その彼女だって、別にやる気もないのに練習に付き合う私とかって、ある意味いい迷惑だろうし、別にそこまでやるつもりがないなら付き合う必要もないはず。そもそも、強要されている訳でもない。なのに、自分のせいにされたら迷惑だよね!「え、やりたくないなら別に・・・」って、私なら困惑する。
まぁ、場所が場所(格闘技ジム)だし、練習の目的が同じような人が固まる傾向はあるし、だから、「目的が違う」って思ったら彼女と疎遠になる事だってあり得る話。
なんつーか、別にそこまで彼女に強い気持ちを持っている訳でもないのに「疎遠になるのもなー」って無理されるのも、すっごい失礼じゃん?

言い訳するつもりもないけど、私も含めて、毒親育ちの人って、どうもこう、他者との距離感がアレな人が多い気がする。しかも、そこで「あれ?」って思えばいいけど、代わりに何故か謎の万能感でもって、自分の距離感を絶対視してキレる人も、多い気がする。統計とったワケじゃないから、単なる個人の感想だけど。

でさ。トレーナーさんだって、仕事でやってる訳だから、そりゃあ熱心に通う人には目もかけることはあるだろうけど、だからっつって「試合を目指さない奴は許さん!」みたいには、普通はならない。くどいよーだけど仕事だから。
百歩譲って、仮に「あんまりやる気ないみたいだし、痛いのヤダとか言って試合も出たくないらしいし、何なの?」って思われたとしても、まぁ、それはそのトレーナーさんの考え方だよね。もちろん、試合に出て勝っていく気概がある人の方が教え甲斐があるだろうなとは思うよ?
でもさ、だからっつって、私がそこで「じゃあ」ってなるのはどうなの?
それこそ「他人軸」で選択してるってことじゃん?
トレーナーさんから良く思われたいから。
友達が試合を目指しているから。
だから自分を合わせる?
たぶん、そんな事をされても相手は嬉しくない。
どっちかっつーと「いや、貴方がしたいようにして?」って、責任転嫁されるよーで迷惑。たぶん。
(そもそも、プロの養成だけやってるよーなジムは、無いワケじゃないけど、最初から「会員」じゃなくて住み込みとかの「練習生」を募集するね!)

なんかね。
幼児期に「周囲の期待を読み取って、その期待をあたかも自分の意志であるかのように自分の中に取り込む」ってことを習慣にしちゃうと、自分がどうしたいのか分からなくなるよね。
だってさ、自分が本心から「したい!」ことを表明すると「ワガママ」って言われて「そんな事じゃこの先、生きていかれない」って断罪されちゃうんだよ?
だったらさ、他人の期待を「自分のもの」って思いこんでおいた方がラクだし、リスクが少ないじゃん。
ただ、そういう状態のまま、正常な世界に出ていくと「なんか、何がしたいんだかよく分かんないけど、放っておくと迷走を始めて、挙句、人のせいにする厄介なやつ」の一丁上がり!
私が逆の立場だったら「いや、別に強度の高い練習をする必要はないし?」って思うし、「別に試合に出るつもりもないなら、痛いこと(スパーリングとかですね)しなくても良くない?」だし、頼んでもないのに練習に付き合った挙句「なんか気が重い」とか迷惑だし。
でもね、それが思い込みの怖いところで、なんか「そうしなきゃ」って、頭じゃなくて体感がそう言うのよ!気が重いくせに練習に出ないとソワソワして「だって体調が悪いもん」とか言い訳をさがす。
しかも、自分より強度が低い練習しかしてない人を「ふーん」とか、ちょっと見下したりしてね。すっげぇやな奴!

じゃあ、仮に、罪悪感に突き動かされるままに、他人の気に入る(と妄想している)ように動いて行ったら、どうなるのかしら。
マチュアで試合に出るじゃん?
勝たないと意味ないよね?
んで、勝てば勝ったで、今度は、プロじゃないと意味ないよね?ってなる。
そして、(年齢的に体力的に無理ということは無視して)プロになったと仮定して、勝たないと意味ないし、最終的にはベルトを取らないと意味ないね!ってことになる。
・・・それってさ、楽しい?
自分をそこまで追い詰めて、でも、別にそれが自分のほんとうにしたい事じゃなくて、妄想の中で思い込んだ「自分が期待されている」ことじゃん?

この妄想のタチが悪いところは、「妄想」自体が的を射ているならまだしも、全然見当違いな事が多いこと!
親子だったら、同じ環境で生活しているという背景があって、考え方を読んでいくのは比較的容易。だけど、生まれも育ちも資質も全く違う相手の考えを読むなんて所詮は不可能で、じゃあ、何をしているかって言うと「相手を読む」と称して、勝手に自分が考えた「相手がこう考えてるかな?」っていう、あくまでも自分の背景というか脳味噌でしか想像し得ない範囲で作り上げた何かを捏造して「これが私に期待されている事!」なんて思いこんじゃってるだけだよね。
結局は自分の脳内で妄想できる範囲は出られないから、相手が期待していることの真逆を「期待されてる」って思ったりするなんて朝飯前!
「部屋の模様替えは自分で好きにやりたいから、妻にはむしろ他所に行ってて欲しい」夫に、「家族が何か作業をしているときは手伝うべきだし、自分一人だけ好きなことをしてるなんて許されない」環境で育った私としては、「ああ、これは手伝う案件だよね」って、「何か手伝うよ?」ってグイグイ行っちゃったりするという悲劇が起こったりするわけです。だって、夫が作業してるのに、私が何かしない訳にいかないじゃん!別にいいって言われても、落ち着かないじゃん!
私の脳内の妄想が私を責める!!!

失ったものは大きいよね。
自分で考えて、本当に「したい!」と思った事は何だったのか。
そして、自分の狭量な「常識」で失った人間関係の重さ。
(あ、妄想を抜いても「これは許せねえ!」ってことはあるよ!)
取り返しがつかない。

まぁ、気が付いたところで、すぐに「はい、自分の考え~~~」って自分軸が取り戻せるわけでもないので、少しずつ、自分の違和感を大事に、軌道修正をして、最期は「ああ、楽しかった」って一生を振り返りたいのよ。

ちなみに、私は筋トレを楽しいと思ったことは1ミリもないけれど、正しくやればそれなりに結果はついてくるので、その「結果」に惹かれて「筋トレ・・・好き。尊い」って思っていて、なので、たぶん筋トレは期待されているからじゃなくて、本心から好きなんだろうと思うの。

さて、まずは、お腹のあたりの違和感というか、要するに空腹を満たすために、心と胃袋が欲している「ベーグルにバターを乗せたやつ」を食べてきます!
休日の朝にブログを書き始めると「書き終わったら何か食べよう」って思いつつ書くので(馬を走らせるための人参とも言うね!)、午前の遅い時間まで空腹と戦うことになりがち。

ところで、私「自分軸」っていう言葉はあまり好きじゃない。
なんか具体的じゃなくて、きちんと定義されてないのに、何か正しいこと言ってます!的な顔をしているように思えるから。とりあえず「自分軸」って言っとけば正解!みたいなね。よく分かんないけど、この綺麗な言葉を出せば、消化はできないけどつるっと飲み込めるよ!みたいな嘘くささをはらみかねない言葉のような気がする。
イメージはしやすいと思うんだよね。
自分。軸。
人に直線が通っていて、だから強固に動かないイメージ。
だけど、じゃあ、その「軸」の本性は何かとか、その辺は曖昧。
曖昧なきれいごとっぽい。
まぁ、私の妄想なんですが。

でさ。
「ワガママ」という称号を異常に恐れて生きてきたけど、よく考えたら、ワガママってのは自分に忠実というか、自分が何を欲しているか分かってる訳じゃん?違う?
私に足りないのはその部分。
なんつーか、「ワガママ」にすらなれない私というのは、筋肉を含めて外側は強固で立派なのに、中身がスカスカな気がする。圧倒的にワガママが足りない!
ワガママも、それを貫けるくらい強い何か、モチベーションと言ってもいいけど、そういう突き上げるような衝動があっての「ワガママ」なら、それに賭けて悔いはないだろうと思うのよ。知らんけど。(「スピ系の教祖がそう言ってたから!」とか「xxさんを見返したかったから!」みたいのは、自分の頭で考えてないと思うけど、でも、まぁ、他人のことは放っておく。最終的に自分のケツを拭けるのは自分だけだし。)
父が私に「ワガママ」と浴びせかけて憚らなかったのは、恐らく、彼の中で「集団の同調圧力に屈していく生き方」が正義だったからなのかも。

よし、令和はワガママを第一義に生きよう!
╭( ・ㅂ・)و̑̑