貴方の事を絶対に認めたくない人

まいど!日系三世のNicky黒井です。

いやもー、花粉症ってどうなの?
今朝起きたら、右目が試合後のガッツ石松みたいになってて
我ながらオカルトでしたよ。
目薬点して寝たのに(注:目薬は寝る直前にさしちゃダメだ!)
目薬点して寝たから目の毛細血管が切れて充血して
しかも、カユイから夜中にこすっていた気がする。
白目が腫れて、なんかゼリー状にブヨブヨして
右目が閉じられない!
お見せできないのが残念です。

で。
ついさっき、ツイッター見てて
「当時の上司が、何をやってもケチつけてきて
頑張ったけど、認められなくて、今にして思えば
単にあの上司は自分を嫌いで、何をしても認めるつもりは
なかったんだろうな」って意味の事が流れてきて
うわー!私の父そっくり!って思ったよね。

私の父は、私に対しては異常なほどの高いハードルを掲げるというか
要求水準がね、尋常じゃなかったよね。
今は、親から精神的に距離を置いて(感情的にはなるけど)
考えられるから分かるけど、ちょっと前まで、カウンセリングとか
受けるまでは「何で、自分は期待されたことをクリアできないのか」
って、本気で悩んだよね。
普通の人にできることが出来ていない自分って、何なん?って。
まぁ、実際、ちょっと考えてみたら、例えば三歳児に腕立て伏せなんて
できる訳ないじゃん?
まだ骨格だって出来上がってないし、そもそも、女子なんだし?
(今はできます!)
そして、なんつーかね、要求水準が高いって言うよりも、その場その場の
思い付きなんだよね。
例えば、テストの結果が悪ければ「もっと勉強しろ」だし
結果が良ければ「天狗になるな」って殴られるし
(ちなみに、父は、アカデミズムにコンプレックスが強くて
学歴とか成績にアレルギー持ち。要するに学歴コンプレックスね)
運動ができなければ「死ぬ気でやってないからだ」「努力が足りない」だし
できればできたで「でも、運動がちょっとできたくらいだろ?
オリンピックとかプロのアスリートレベルじゃないだろう?」だし。
でもね、私が高校生の時に交換留学の試験に受かったときは
私に対しては「分不相応」って怒ったけど、外に対しては
自慢してたの知ってるんだ。
学歴コンプレックスは強かったけど、海外への憧れも強かったもんね。
言っとくけど、努力したのは私やぞ。

結局、私がどうあればいいのかっていう、明確なものはなくて
ただただ、その場その場で、とりあえず貶しておく感じ。
私は「親という生き物は、子供を褒めないものだ」って
思って生きてきたから、特に英語圏で暮らした時期は
親が「うちのマーベラスな娘」とか「ワンダフルな息子」的に
「何ができる」じゃなくて「子供」自体を褒めるというか
肯定してるのに、すごいビックリした。
まぁ、カルチャーも違うしな。

でさ、「心が折れる」って言うじゃん?
そうじゃなくて、小さいころから肯定されたことがなかったり
することなす事ケチをつけられて育つとね
もう、心が委縮して、伸びないのよ。
折れるほどの所まで育たない。
だから、折れようがないというか、そもそも折れてると言うか。

そりゃあ、親だって人間だし、完璧ではあり得ないけど
でも、あそこまで子供を肯定しないって、それはそれで
何か深い闇を感じる訳です。
もうね、一度でも私を褒めたら、認めたら
(って言ったって、根拠なく褒めろって話でもなくて
何かそれなりの成果を出したら認めろってレベルよ?)
この世界が46億人の人口と共に崩壊するから
それを守るために絶対に褒めない!とか、そんな事でも
背後にあるんじゃないかって思うくらいの褒めなさ。
何か宿命を背負ったヒーローですか?って感じ。
「全世界、子供を褒めない・肯定しない親選手権」があったら
アジアブロックから、シード権出場は固いね!ってくらい。

母も私を褒めない人だったしね。
ガチガチのキリスト教で、ちょっとでも
「これができた!」「成績が良かった」なんて
言おうものなら、「傲慢」「謙虚さが足りない」
「虚栄心」っつって、そりゃあ叱られたよね。
また、彼女の兄弟が揃いも揃って尋常じゃなく
勉強ができる人達だったので(東大で博士号取ってから
国費留学して、海外の大学で研究したり教えたりしてる感じ)
「その程度で」的な事を言われたのも一度や二度じゃない。
仮に、私がハーバードを首席で卒業しても、褒めないとは思うけど。
「勉強はできるかも知れないけれど、貴方は性格がアレだから」とか
「不細工だから」とかね。

そんな全方位完璧な人っている?
そして、そこまで完璧じゃないと
「貴方がいて嬉しい」ってならないもの?
いや、仮に私が全方位完璧でも、絶対絶対絶対に
例えば「でも貴方はそうやって自分が完璧だと思って
驕り高ぶってる人だから」とか何とか貶して
私の事を認めないと思うけどね。

でもさ、認めるって何なん?
上司だったら、普通に客観的に成果を認めろって思うし
親だったら「XXだから」認めるんじゃなくて
「ただただ、貴方がいて嬉しい」って思えって思うし。

まぁ、貴方を絶対に認めたくない人は、たとえそれが親であっても
貴方を認めることはないし、もう、それは宗教みたいなものだから
議論の余地はないと思うのね。
だってさ「私は褒められたかった、認められたかった」って言って
だからって口先だけ「貴方がいて嬉しい」って言われても
それじゃねーよ!って思わない?
私は思います。
それは、心からの思いの発露であり、全存在をかけての肯定であるからし
「認められたい?だったら言ってやるよ、しょーがねーな」って
言うものじゃないじゃん?
そして、よく私が周囲から言われるのが
「気にしすぎ」
「親は悪意じゃない」
「思ってても言えないだけ」
なんだけどさ、これってほんと、セカンドレイプだよね。
そもそも、悪意でそんな事されてたまるかって話だし
無意識あるいは正しいと信じてやってるから余計にたちが悪いし
思ってるだけで言えないだけなら、どっかで「ああ」って分かるはずじゃん。

一度ね、「思ってても言えないだけ」「本当は全肯定してるけど
言葉で伝えてないことに気が付いてないだけ」
「きっと、一度も褒められてないって言ったら、心では褒めてたけど
そっか、言ってなかったのね、ごめんね、貴方を認めてるよって
ビックリしながら言葉にしてくれるんじゃないかな?」って言われて
最期のチャンスかもと思って、親にそういったことがあったのね。
まぁ、私もいい年してそんな事するかって話だけどさ。
そのくらい闇が深いんだってばよ。

でね。
まず母の反応。
「え。って言うか、貴方に褒めるところなんてあるの?」って
真顔で言われたよね。
何なら本気で困惑してて、言ったこっちが困惑したよね。
ああ、困惑させてすみません、貴方は本気で私の全存在を否定してるんですね
よく分かりましたので、シャッター下ろして帰りましょう・・・みたいな
気持になったわ。
漫画の「ぼのぼの」で、ぼのぼのが汗をいっぱい飛ばして困惑してる
シーンが私の背景に大きく出てた気がするわ。
んで、父。
「そうやって、親が至らないと言いたいのか!
オマエはナニサマだ!」っていきなり激昂したね。
まぁ、ナニサマってNicky様なんだけどね。
いや、別に至らないとかそういう大雑把な話じゃないじゃん?
もっと具体的な「褒める」「成果を認める」って話じゃん?
なんて言っても通じない人というか、生意気だっつって
余計激昂して、でかい声で威嚇するんだろうなって予測してみた。
自分が言いたい事だけ怒鳴って、相手の言うことは一ミリも
聞かない人だからね。
(相手の言うことをシャットアウトすれば、自分の言い分が
通ったと思っているらしい)

まぁ、不幸にして、客観的主観的を問わず、貴方を肯定したくない
認めたくない人っていうのは、この世界に存在して
もう、それは宗教みたいなもんだし、例えば社会人で
仕事繋がりだった場合、名誉棄損で訴えるとか、精神的苦痛で
裁判するとか、そういう手段もアリだと思うけど
親子関係だったら・・・とりあえず、逃げとけって思うね。
だってさ、小さいころは親の方が絶対的に立場が強いし
刷り込みをもらっちゃってる訳だし、だから、ある程度の年になって
「私の親は、メンタルクラッシャーだ」って理解したら
一刻も早く、連打の後のロマチェンコくらいのフットワークで
相手からのダメージが届く範囲からは去ったほうがいいと思うの。

何で認めたくないのかとか、その辺はもう、相手の問題だし
とりあえずは、まず自分を癒すのが先!
癒しって言っても、スピリチュアル界隈で言われてるような
定義も何にもない、ぼやっとした意味じゃなくて
心身ともに歪みが取れて(ある程度までね)、健全な状態に
戻ってるってことよ。
だから、時間も労力もかかるだろうし、それまでは
恨み節が事あるごとに出ちゃうかもだけど、でも、必要な
プロセスだと思って、耐えるしかないよね。

ちなみに、私は、親からブスブス言われて育ったので
今でこそ、外見を褒められると「ありがとう」って言えるけど
ちょっと前までは、ちょっとでも外見についてコメントされると
それが肯定的なものであっても
「ブスで悪かったなー!」とか(注:ブスとは一言も言ってない)
「ブスを褒めたら喜ぶと思ってんだろ!」とか
「嘘ついてるのが分からないくらい、私がバカだと思ってんのかな」とか
そんなふうに受け取ってました。

まぁ、私は、人生の前半は全然褒められなかったので
後半で一生分、倍のペースで褒められるのかな?とか
期待しているので、皆さん、Nicky黒井を見かけたら
積極的に褒めようぜ!(冗談です)

貴方を認めたくない人に期待せず、せめて客観的に
見てくれる人と人生を過ごそうね!って話でした。

推敲しないで投稿するので、文法の間違いとかあったらごめんね!
読んでくれてありがとう!ヽ(・∀・)ノ

不実な友達(その2・補足)

えっと、さっきアップした「不実な友達」ね、別に私、友達全員を嫌いになるとかそういう話じゃなくて、まぁ、そういう事が起こりがちって話なんで、「Nickyと友達になると却って嫌われる」とか、そんなこたぁないので、ご安心を!

自分で言うのもなんだけど、義と情に篤い獅子座太陽蠍座月だからね!
え、そこに帰結する?って気もするけど。

そんでもって、特に、友達ができても「もっと楽しい子」に去って行かれた幼少期からの体験って、たぶん、自分に合わない子と友達になってたんじゃないかとか思うし。
本当に友達だったら、別に私が鈍くさくて陰気で目立たなくて、友達のままだと思うの。

本来はそういう事を通じて「友情とは」とかを学んで行くんだと思うけど、私の場合、「だからお前は嫌われ者」「外界は敵」「他人は悪意で近づいてくる」っていう、親の刷り込みを内在化させて、強化する方向に働いちゃったんだよね。

・・・書いてて今、気が付いたんだけど、「思い通りじゃないと嫌いになるよ?」って、これ、私が両親からかけられ続けてきた呪いを、そのまま外界に垂れ流していただけじゃん?
分かっても、その先は長いんだけど、原因というかルーツが分かってちょっとホッとするわ。

時々「なんでこんな私と根気強く?」って思うような、素晴らしい人からの友情に恵まれることがあって、ほんと、大事にしようと思います。
ジャブの打ち方も、人との距離の取り方も頑張るわ。

不実な友達

えー、日系3世の黒井ニキです、おはようございます。
もうね、午前4時半に目が覚めて眠れない。
老人なのか、はたまた双極性障害か。
いやいや、私、考えてみたら幼児期(幼稚園とか)から、午前2時とかに目が覚めて、そっから明け方の4時過ぎまで眠れないとかザラだったし。
早く良質な長時間睡眠と仲良くなりたいわ。
現時点では片思いです。

はい、今回のテーマ「不実な友達」

不実な友達ね・・・。
ゲーテは「誠実でない友達がいるよりは、むしろ敵がいたほうがいい」とか言ってますね。
ほんと、不実な友達って、イカンと思う。
で、今、何を想定して「不実な友達」って書いてるかっつーと、実は私のこと。

恥を忍んで書くと、私は、仲良くなった人との距離の取り方が下手くそだ。
下手くそにも色々あるけれど、私の場合、相手に気持ち的にガ―――っと近づきすぎて、理想を投影しちゃったりして、で、ちょっと何かあると「裏切られた・・・」みたいに相手を嫌いになったりというパターン。
相手にしてみたら、仲良くなった人が、勝手に理想を投影してきて、勝手に「違った、裏切られた」とか冷めて距離を置いてきたら「何がしたいわけ?」とか思うでしょう。

だってさ、普通の人なんだから、欠点だってあるし、そもそも、私の理想なんていう勝手な型にはめ込もうとして、失敗したら「違う」とか、違うのはお前だよ!って話ですよ。

友達って、そういう欠点も含めて「こういう所もあるし、こういう所もある。全部ひっくるめてあの人は友達」って事なんだからさ。そこをいちいち、「違う」とか思ってたら、人間関係なんて続かないっつーの。
英語でよく「nobody is perfect(完璧な人なんていない)」って言うけど、ほんとそれ。少ない脳みそにマジックで書いとけ!
理想じゃなかったからガッカリとか、そもそも、その「理想」とか「完璧」とかってこと自体が幻想なんですよ、奥さん!
ありもしないものが、なかったからキレる。
どんだけ最低かっていうね。ダメじゃん。

そして、その通り、私のダメな部分の極まったところは、その人を「違う」ってなって、じゃあ別の人と仲良くなったりして、そーすっとその人だって「違う」というか、私の理想なんかじゃない訳で、「違う」が永遠に続くわけです。そして、ちょっと距離が出来て風通しがよくなったりすると、前の「違う」人に、なんかまた近寄ったりしてね。

友情再開っていうか、お前が最低だっつー話ですよ。

人を何だと思ってる!
そして、たぶん、ある程度、人格が成熟している人は「ああ、Nickyって、完璧を投影しては、離れるを繰り返す奴なのね」って、別に私にそれを指摘しなくても分かってて、遠くから私の愚行を観察してるんだよね、きっと。

ああ、恥ずかしい。
穴があったら入れたい・・・じゃなくて入りたい!

 

こういったことも含めて、現在、自分の心というか、何でそんなふうな反応をしてるのかを、プロのセラピストさんの力を借りながら色々見ているところなんですが、要するに、私は
「この世界は敵ばかり」

「私なんて誰からも好かれない」

って思いこんでいるから、すごく好きな相手から嫌われる前に、ダメージを減らすために自分から距離を取っている気がする。

アウトボクサータイプね。(違

他人事のようにつるっと外側のことばっかり書いてもしょーがないんで、実際にその時に自分の心に何が起きているかっつーとですね、ハッキリしないんだけど、たぶん相手に対しての怒りがすごくある。
相手に何に対して怒っているかなんだけど、表層的な「違う」って思ったことに対して怒ってるようでいて、それはきっと単にトリガーに過ぎないんじゃないかと思うの。

私は小さいころから内気で人となじまない性格で、親からは散々「お前は人から好かれない」って言われて育ったし、実際、ちょっと仲良くなっても、もっと楽しい子のところに「友達」が行っちゃったりなんかはザラだったし、大人だって内気が味方がいないワタシはぞんざいに扱って良いと思ったのか、子供は理解力がないと思ったのか、私の前で私の評価とかしちゃったりする人もけっこういたしね。

「陰気だけど、自分が賢いと思ってる子」とか

「小学生なのにこんな体格がよくて、相撲部屋にでも入るのかしら」とか

「子供のくせにオトコ好きする雰囲気」とかね。(注:非モテです)

いや、それもさ、つまんねー大人が言ってるなら無視無視って思えるけど、例えば、すんごいうちの母と仲が良かったクリスチャンの婦人とかが、そゆこと言っちゃうのよ。

なんか、やっぱり、子供としては

「私ってダメなのかな」って思うじゃん?

無駄に素直だったから私は真正面から受け取っちゃってました。

 

んで。

自分が好かれない人だってことは深く心に刻まれるじゃん?そして、仲が良くて大好きな友達とかがいるじゃん?大抵はもっと面白い別の子と友達になって去っていくじゃん?やっぱり、自分が好かれないってことだけがどんどん確信に変わっていくわけです。そして、誰かと親しくなると、関係が壊れる予感というか確信が生まれるじゃん?で、関係が壊れる前にこっちから壊すというか、壊れてもいいように気持の準備をしちゃうじゃん?だって傷つくの怖いもん。待ち伏せする優秀な部隊のように「ふはははは!来たな!知ってた!」的に、関係が壊れる前にこっちから奇襲をかけて、相手を出し抜こうとするのでした。

もっと言えば、私は、誰かから無限に受け入れて欲しかったし、自分の分からないような欠点(欠点は死角に生じやすかったりするよね!)も含めて、「だからお前はダメだ」じゃなくて、「そんなところもあるけれど、貴方が好きよ」って言って欲しかったし、陰気でも鈍くさくても、寄り添って、去らないで欲しかった。

いや、言えないし?
そんな弱みとか握られるのってイヤじゃん。まぁ、でも、そのシッポというか、名残りとして、異性から好意を寄せられると、それが最低に下らない奴で、そいつが言ってる「好き」って単に都合の良い性欲でしょ?って分かっていても、それがどんな形でも自分に関心が向いているという状態がなくなるのが辛い。

お腹がすいた魚は釣りやすいっつーか、ほんと、飢えた奴はどんだけ意地汚いかっつー話ですよ。

だって「なんか好みじゃないから振った」とか聞くと、頭では「そりゃそーだ」って思っても、どっかで「関心が自分に向いているうちが花だよな」って思ってる。
さらに言えば「モテたことがある奴は余裕ぶっこいてやがる!」って思ってる。

話がそれたわ。

まぁ、要は、理想から外れるとか、ちょっと違うと思った時、ガッカリするっていうのは、「理想から外れる」イコール、「私のこと、嫌い?」まで飛躍するからなんだな。
今まで味方と思っていた人が、陰でなんか言ってたり、要は敵だったって体験があると、親からの「世界は敵」「他人は悪意」っていう刷り込みが正しかった!って強化されちゃうじゃん?だから、理想から外れる(くどいけど、理想なんて幻想なんだけどね)のを確認した瞬間に、「って言うことは、敵だったってこと?」ってなる。
そう、私の世界には、敵か味方かしかいない。
たぶん、客観的な世界って、もっと優しい場所で、敵もいるかもだけど、大多数は「別に積極的に大親友ではないけれど、敵意はなくて、むしろ好意」くらいなんだと思うんだけどね。
これについてはまた別途かくけど。
(まぁ、明らかな悪意を、ゴリラのウンコ投げみたいに、適当な的としてぶつけてくる人はいるけど、それはその人の問題)

ちうわけで、現在、友達との距離の取り方を勉強中です。
ワタシ、実は、立ち技と言われる格闘技での、距離を測る「ジャブ」の打ち方が下手で、具体的には、リーチに対して距離の取り方が短くて、自分よりリーチが短い相手の距離にわざわざ入っていく癖があるのでした。

友達との距離の取り方と、ジャブの距離の取り方と、少しでも上手に距離が取れるようになるのは、どっちが先かなあ。


まぁ、午前5時半に書く文章かって話なんですけれども。

不機嫌が怖い

どーも、黒井Nickyです、おはようございますのグッドモーニング。

もうね、日記も開設したらしっぱなしで放置、部屋も散らかりっぱなし、人生とっ散らかっております。
アレだよな、あと行ってないのはアフリカ大陸と南極大陸だけっつーのに、一番の謎は自分!みたいな、ほんと本末転倒ざんす。

それはさておき。

身体もでかいが態度もデカいと思われがちな私ですが、実は、私は夫の不機嫌が怖い女。

友達が一緒に居て不機嫌だったりすると、別に「なんじゃそりゃ」とは思うけど、だからと言って触ろうとは思わない。相手の問題だから。
彼/彼女には、不機嫌でいる権利があるし、また、不機嫌でいることのリスクを取る権利と義務がある訳ですよ、奥さん!つまり、自分の裁量で不機嫌でいたらいいよね?ってこと。

友達とかにはそう思えるのに。
なのに。
夫の事になるとねー、なんかこう、「私が何かした?」とか思っちゃうんだよね。
前に、夫が不機嫌になるたびに「どうしたの?」的に機嫌を取ろうとして、「キミが何かやらかしていて自分が不機嫌だったら言うから、放っておいてくれないか」的な事を言われたことがありましたですよ。
例えば、仕事の事を考えているとか、気が重い案件を抱えているとか、寒いとか、単にボーっとしているとか、不機嫌に見える要素なんかいくらでもあって、いちいち聞かれるのは、いつも私が望む機嫌の良さでいないといけないような圧迫感があるそうで。

それを聞いてどう思ったかって?
うん、激怒。
密かに激怒。
仮にもパートナーなんだから、相手を不愉快にしないというか、機嫌が悪い所を、たとえ可能性であっても見せるとか、失礼じゃないの?もっと気ぃ遣えって!
ここからスタートして、ああ、夫は末っ子で(私もだけど)可愛がられて育ったから(私はそうじゃないけど)、他者からの愛情に対して無頓着というか傲慢なんだよなぁ・・・と、静かに怒りを溜めていったのでした。
でね、その後、色々あってセラピーとか受けたりして、どっちかっつーと夫の傲慢と言うより、私の心得違いと理解したんですわ。

つまり。
夫には夫の機嫌を自分でどうするか決める権利があると。

なので、ちょっと自分のことを振り返ってみた。
何で私、こんなになっちゃったんだろう。

あー。
(テキトーなBGMと白黒映像で過去を振り返っていると思ってくだしあ)
そうだわ、私の実家は、父が不機嫌だと一家総出で父の機嫌を取る家庭だったわー。
子供心にも理不尽で、明らかに父が悪いことであっても、何故か私が謝らなきゃいけなくなったりね。なんつーか、父の機嫌が第一だったのよ。
理屈とか正義とか、そんなもんじゃなくて、父の機嫌が正義っていうかね。
もちろん、父だって分かっていて不機嫌で家族をコントロールしていた。
何でそんな事がまかり通るのか。
答:父が稼いで家族を食わせていたから。そして母がそれを「誰に食べさせてもらってると思ってるの!」って考えていて、子供は親に絶対服従って信じてたから。
生殺与奪の権は稼ぎ手である父のもの。絶対君主制っていうか。
そう、だから、不機嫌の土砂崩れをできるだけ最小限で食い止める必要があったのよ。必死。
何とかして父の機嫌が悪くならないようにする。不機嫌の兆しが見えたら、先回りして、どうかしたか聞く。もちろん、素直に答えるようなタマじゃないから不機嫌で家族をコントロールしようとする訳なんだけど、そして、「言わなきゃ分からないのか!」とか言うわけなんだけど、少なくともちょっと機嫌が直る訳ですな。何故かというと、王様のように家臣が機嫌を取ろうとしているのが分かるから。
うん、そりゃ気持いいよね。不機嫌になるとチヤホヤされるんだもん。しかも、理由を聞かれても明確に答えないどころか相手に察しろ!って言うことで、無限に相手が勝手に妄想からの自責という無限ループにはまってくれるし?
宇宙人でも超能力者でもないのに、言わないで分かる訳ないだろうが、ボケ!
・・・って、今だったら思うけどさ。当時はもう必死ですよ。だって、父が不機嫌だと、何か分かんないけど「貴方が謝りなさい!」とか、私に降ってくるし。しかも、「それ、私は悪くないけど?」とか「一体何の件?」とか聞こうものなら「開き直って末恐ろしい」とか、「親に楯突いて」とか、「自分で考えろ!」とか、余計ややこしいことになるわけ。
ね?面倒でしょ?意味わかんないでしょ?
絶対君主制って言うか、暴君だよね。
少なくとも絶対君主制に度々見られた賢君ではない。

更に。
この辺は私の実家(我が家とは書きたくない。私の「我が家」は、夫と猫3匹の現在の家庭しかないと思っているから)のダブルスタンダードなとこなんだけどね、父の不機嫌は、そりゃもう、全員が全力で、w杯の全日本サッカーチームかなってくらいの気迫で機嫌を取りに行くけど、それでいて、私がちょっとでも不機嫌でいることは絶対に許されないという不文律があったのでした。
大迫以上に半端ないでしょ?

理由?
「貴方が不機嫌でいると、周りだって嫌な気持になるでしょう?」
だって。

知るか、ボケ。
例えば、子供のころなんかに、まぁ、ちょっと寝不足とか疲れたとかお腹空いたとか、何でもいいんだけどちょっと機嫌が悪かったりするじゃん?そーすっとね
「子供じゃないんだから!」って叱られるわけですよ。

子供だっつーの。

口でちゃんと説明しなさいって言われるけどさ、幼児が「なんか分からないけど、だるい感じがして元気が出なくて不機嫌です」とか、言わないじゃん。って言うか、言ったら怖いじゃん。理路整然と説明なんてできる不機嫌なんて、不機嫌のうちにはいらない。説明できない名状しがたい、それが不機嫌。

んで、子供は子供らしく、いつも元気でニコニコしてないと怒られるっていうね。
どんだけ「大草原の小さな家」かっていう。まぁ、あの「父さん」役のマイケル・ランドンは私生活はアレだったらしいけれどね。それはさておき。
でさ、別に不機嫌じゃなくても、ぼーっとしてたり、ちょっとこう、見た目が不機嫌ぽくなることってあるじゃん?ない?私はあります。

そーすっとね、母がすっ飛んできて「何をそんなに膨れてるの」って、シバくわけですよ。別に不機嫌だったつもりもなくても。そりゃあビックリするよね。だってさ、普通の顔してボケっとしてると、いきなり「不機嫌な顔してる!」ってビンタなのよ?びっくりだよね。っていうか、ビックリも何回も続くと、自然と自衛というか、要するに自分の世界に籠っちゃったりするようになるのでした。表情のない子ね。不機嫌でもないけれど、特段ニコニコもしない子。

ちなみに「別に膨れてないし?」って言っても、だったら何でそんな顔してるの!とか言われるんだけどさ、そんな顔も何も、別にこんな顔は自分で選んだわけでもないし、製造者責任がある本人からそう詰められてもねぇ。
挙句、周囲が嫌な気持になるんだから、不機嫌になるな、上機嫌でいろと。
あたしゃイヤだよ、そんな、市民全員がいつもニコニコしてるなんて、どんなディストピアだよって思う。家族の誰かが不機嫌でいたら、その不機嫌の原因を解決するんだったら、まだちょっと分かるけどさ。そうじゃないじゃん。波風を無理に収める的な無理難題じゃん。何のためかっつーと、父のため。
父の機嫌がそんなに大事か。
ちなみに、父は、不機嫌を誰かが拾ってくれないと、怒鳴ったりするので、ほんと、子供心に怖かった。

父は今でも、中年と言われる年の娘に対して、電話で怒鳴ってコントロールしようとしたりするけど、そして、さすがに反抗というか、「じゃあ、嫌がる事してやろう」的に、私も父のコンプレックスを突いたりして挑発したりするけど、それも健全じゃないよね。

私だって夫から、ボーっとしてるだけなのに「機嫌悪い?」とかいちいち聞かれたらやだ。
私が私の思うままに在るというか、行動するというか、要するにボーっとしてたら誰かが気を遣ってしまうとか、傷つくとか、すんごい重荷だし?重荷っていうか、鬱陶しい。まして、別に解決とか居心地を考えるためにじゃなくて、いちいち機嫌チェックって、キミは小姑かなんか?私が不機嫌だろうが疲れていようが、気を遣って聞いてくれるならまだしも、自分が安心したいから機嫌よくいてくれっていうのは、筋違い!
筋を違えすぎて筋肉痛よ!ストレッチしよう!

結局、「正しさ」の追求の果てなんだよね。
あるべき正しい家族像が「みんなニコニコ」っていう気持悪いやつだと、ニコニコしてないやつは死刑だし、家長が不機嫌になるような事したやつも死刑。
そうやって、波風が立ってないつるつるでニコニコの理想的な正しい家族一丁上がり!な訳ですよ。
その結果がこの私だ。

まぁ、もっと早くというか、若いうちに気が付いたら良かったんだけど、それでも、死ぬ前には気が付いてよかった。
不機嫌で他者をコントロールするのは最低だし、他者の機嫌に責任を感じる必要はないし(意図的に何かした場合は別)、自分の不安感から誰かの機嫌をコントロールしようとするのは暴力だし。
純粋な心遣いじゃなくて、自分の不安払拭のために他人を使うなってことです。

んで、さっき、このブログの段落を入れ替えようとして、カットアンドペーストしようとしたら、カットした段落をそのまま消してしまったという惨劇。
間違って削除しちゃった文章って、何故か最上の文章だった気がする不思議。
これは、不機嫌になってもいい案件だよね?
ね?ね?

なんつって、仮に私が不機嫌だったとしても、夫は「なんかして欲しいことがあったら言うよね」くらいに構えてて、気持ちいいくらいスルーの人。
だから安心して不機嫌になろうそうしよう。

うん、自分が不機嫌になるところから始めてみるわ。
いつか夫の不機嫌に、いちいち反応しないようになりますように。
これを今年のクリスマスにサンタさんにお願いしてみよう。

カルチャーギャップだけど腑に落ちたこと

最近ちょっと腑に落ちたこと。
インドとかイスラム圏で、女の人が「名誉殺人」に遭うことがある。
何か不名誉なこと(恋愛をする、親が決めた結婚を断る等々)をしでかした女性を、親とか兄弟が殺害して名誉を守るという流れ。
長らく女性の権利の侵害の筆頭とされてきているけれど、一向になくなる気配がない。
んで、私、ずっとずっと「ああいう文化圏の人にとって、女性は従属物だから、家族とかそういう愛着はないのかな、だからサックリ殺せるのかな」って思ってたのね。

私の父(日本人だ)は、本人はリベラルのつもりで、でも、そりゃあ家族は自分の従属物と思ってやまない人だ。
この間、話していてというか、もっと正確に言えば言い争っていた時にふと、「ああ、こういう人にとって、他人がどう思うか、自分の娘がどう思われるかが最重要事項であって、娘本人の意思とかはまったく考慮されないんだな」って思った。
つまり、架空の「他人」「ヒトサマ」「世間」があって、父の妄想の中でその「世間」に娘が悪く思われるくらいなら、父が娘を殺す事こそが、娘を守る手段だって思ってるってこと。
からしたら迷惑千万なんだけどさ。
だって、架空の「世間」にしても、実在する「世間」にしても、別に、彼らの気に入るように人生を変更したところで、その責任なんか取ってくれないじゃん。
第一、実在の「世間」なんて、別にいちいち私のことなんて気にしてないし?

でも、父の妄想の中の「世間」の意に添うように、例えば暴力を振るっても、例えば本来娘が持っている決定権を奪うようなことをしたとしても「そうする必要があった」とか「世間に顔向けが」とか、そういう文脈で、彼の中では消化されて、例えば娘の心がどんだけ傷ついてるかとか、殴られると痛いとかは、関係ないし優先事項ではないと思ってるんだろうな。
アレだ、昔のお見合いみたいに、娘はこの世界の事を知らないから、親が決定権を持たないと大変なことに!って思ってるってわけ。ちなみに、英語でよく使う言葉でmake one's own mistakeってのがあって、自分で考えて行動した結果として間違ってみて、そこから学んで行きなさいって意味。ヒラリー・クリントンの自伝にも、娘のチェルシーに対してそう書いてあって、なんか感激した記憶がある。だってさ、手出ししないで見守るって、手出し口出しするより大変なことよ?私の父には、その「娘への信頼感」がない。自分とは違う道でも、コイツなら大丈夫って思わないで、違う道なら間違ってるから殺してやる!って感じ。
あるいは、中国で一時期、日系のスーパーが暴徒に打ちこわしとかされても、「愛国無罪」って言われたみたいに、「娘を思ってやったことだから」無罪というか、そもそも、何でそれで傷つくわけ?感謝されてもよくない?くらいの勢いなんだろうな。


世間から後ろ指を指されるくらいなら、殴ってでも殺してでも言うことを聞かせる・・・って、何か「ああ、こういう人が名誉殺人とかするんだな」って腑に落ちたわ。
でも、そんだけ父が義理立てする「世間」も「ヒトサマ」も「他人」も、実在しない単なる彼の脳内の存在であって、妄想に怯えて殴られたり暴言を吐かれたり、人格否定されたり、生き方に干渉されたりする娘としては、そりゃもういい迷惑。

脳内の「ヒトサマ」に合わせるのは勝手だけど、自分だけにしといてくれないかな。
じゃなかったら、理不尽と戦う気概を見せるとかいう発想はないのかな。
個人的には、そっちのがよっぽど「信頼」「愛」なんだけどな。

まぁ、理解はできないけれど、「なるほどね」って腑に落ちたという話でした。
私はそんなものを「愛情」と呼ぶほど人間が出来てないけどね。

黒い日記はじめました

どーも!日系3世(嘘)のニキ黒井です!
ニキ黒井の「黒い日記」はじめました!

この日記のobjectiveは、心のリハビリなので、特段集客は考えていないのですが、やっぱりほら、アレコレ差支えがあったりするので、一応、普段とは別の独立したブログにしてみました。
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