カルチャーギャップだけど腑に落ちたこと

最近ちょっと腑に落ちたこと。
インドとかイスラム圏で、女の人が「名誉殺人」に遭うことがある。
何か不名誉なこと(恋愛をする、親が決めた結婚を断る等々)をしでかした女性を、親とか兄弟が殺害して名誉を守るという流れ。
長らく女性の権利の侵害の筆頭とされてきているけれど、一向になくなる気配がない。
んで、私、ずっとずっと「ああいう文化圏の人にとって、女性は従属物だから、家族とかそういう愛着はないのかな、だからサックリ殺せるのかな」って思ってたのね。

私の父(日本人だ)は、本人はリベラルのつもりで、でも、そりゃあ家族は自分の従属物と思ってやまない人だ。
この間、話していてというか、もっと正確に言えば言い争っていた時にふと、「ああ、こういう人にとって、他人がどう思うか、自分の娘がどう思われるかが最重要事項であって、娘本人の意思とかはまったく考慮されないんだな」って思った。
つまり、架空の「他人」「ヒトサマ」「世間」があって、父の妄想の中でその「世間」に娘が悪く思われるくらいなら、父が娘を殺す事こそが、娘を守る手段だって思ってるってこと。
からしたら迷惑千万なんだけどさ。
だって、架空の「世間」にしても、実在する「世間」にしても、別に、彼らの気に入るように人生を変更したところで、その責任なんか取ってくれないじゃん。
第一、実在の「世間」なんて、別にいちいち私のことなんて気にしてないし?

でも、父の妄想の中の「世間」の意に添うように、例えば暴力を振るっても、例えば本来娘が持っている決定権を奪うようなことをしたとしても「そうする必要があった」とか「世間に顔向けが」とか、そういう文脈で、彼の中では消化されて、例えば娘の心がどんだけ傷ついてるかとか、殴られると痛いとかは、関係ないし優先事項ではないと思ってるんだろうな。
アレだ、昔のお見合いみたいに、娘はこの世界の事を知らないから、親が決定権を持たないと大変なことに!って思ってるってわけ。ちなみに、英語でよく使う言葉でmake one's own mistakeってのがあって、自分で考えて行動した結果として間違ってみて、そこから学んで行きなさいって意味。ヒラリー・クリントンの自伝にも、娘のチェルシーに対してそう書いてあって、なんか感激した記憶がある。だってさ、手出ししないで見守るって、手出し口出しするより大変なことよ?私の父には、その「娘への信頼感」がない。自分とは違う道でも、コイツなら大丈夫って思わないで、違う道なら間違ってるから殺してやる!って感じ。
あるいは、中国で一時期、日系のスーパーが暴徒に打ちこわしとかされても、「愛国無罪」って言われたみたいに、「娘を思ってやったことだから」無罪というか、そもそも、何でそれで傷つくわけ?感謝されてもよくない?くらいの勢いなんだろうな。


世間から後ろ指を指されるくらいなら、殴ってでも殺してでも言うことを聞かせる・・・って、何か「ああ、こういう人が名誉殺人とかするんだな」って腑に落ちたわ。
でも、そんだけ父が義理立てする「世間」も「ヒトサマ」も「他人」も、実在しない単なる彼の脳内の存在であって、妄想に怯えて殴られたり暴言を吐かれたり、人格否定されたり、生き方に干渉されたりする娘としては、そりゃもういい迷惑。

脳内の「ヒトサマ」に合わせるのは勝手だけど、自分だけにしといてくれないかな。
じゃなかったら、理不尽と戦う気概を見せるとかいう発想はないのかな。
個人的には、そっちのがよっぽど「信頼」「愛」なんだけどな。

まぁ、理解はできないけれど、「なるほどね」って腑に落ちたという話でした。
私はそんなものを「愛情」と呼ぶほど人間が出来てないけどね。